あしあと

パニック障害と診断されました。

パニック障害発症への扉

 初めまして、ましろと申します。

自分を見つめ直すために、なんとなくブログを始めてみました。

よろしくお願いします。

 

 

私は、パニック障害と診断されて約1年と半年が立ちました。

今は早いもので薬も飲まず、パニック障害の症状も出ることなく、生活しています。

 精神疾患は自覚のないことが多く、実際にパニック障害うつ病と診断されるまでは、自分がそんなものになるわけが無いと思っていました。

しかし、パニック障害になってみて、今から過去の自分をを振り返ってみるとその予兆は彼方此方にあったように感じます。

 

きっかけ

私は3人姉弟の長女として生まれました。

親からはそれなりに愛情を受け、そして弟妹達の規範となるように厳しくしつけられてきたと思います。

得に母から耳が痛くなるほど言われた言葉が「貴方が手本なのだからしっかりしてちょうだい。」でした。

小さいながらも、私はその母の願いを叶えるべく必死に行動していました。

いい子であるように、手のかからないように、“ 大人しくて手のかからない静かな子”それが私でした。

そのまま小学生、中学生となり、高校は学力の届く範囲で実家から一番近い高校に進学し、そして大学受験も親の言われるままに行動していました。

 

そして、進学後の21歳を迎えた夏。

今まで貯めていた“ 我慢の袋”が破けました。

 

きっかけは実習先でのインシデントでした。

内容は詳しくはかけませんが、指導者の配慮により、実害はなし。

「気にしなくていい、たまにある事だ。貴方だけの責任ではない。」と指導者の方からは声をかけて頂きましたが、初歩の初歩的なミスでした。

学生でも珍しい、勉強していれば有り得ないミスだと自覚していた私は、情けなさで涙が止まりませんでした。

担当教諭からは、「 何故そのようなことになったのか振り返りをし、次に繋げるためにも反省文を書きなさい。」と言われ、その夜一睡もせずに反省文を書きました。

 

反省文を書いているうちに「自分はどうしてこんなにダメなんだろう」と考え始め、思考が止まらなくなっていました。

「どうしてこんなことをしているんだろう」

「なぜ苦しい思いをしないといけないの?」

「そもそもやりたいことでも何でもないのに」

「将来の私はどうなるの?」

「こんなミスをする人間は将来必要ないのでは?」

「私の存在する意味はなに?」

涙が止まらず嘔吐を繰り返しましたが、逃げてはならないと翌日も学校へ行きました。

 

翌日学校へ行くと担当教諭から呼び出しがありました。

私が担当教諭の所に行くと、私の顔を見てた溜息をついた後こんな言葉を掛けてきました。

「実害がなかったとはいえ、あんなインシデントをしておいて、よく来れましたね。というか、なぜ学校にこれたのか不思議です。恥ずかしくないの?」

私は何も答えることが出来ずただ俯く事しか出来ませんでした。

「よく来れましたね。」その言葉が、痛く刺さり、息ができなくなるような感覚に陥りました。手が震え、冷や汗がどっと出た様に思います。

とにかく、担当教員が話している間は倒れる訳にはいかないと必死で堪えていました。

 

その日の夕方、再び担当教諭に呼び出され、ました。

「貴方だけでこの問題を終わらせる訳には行きません。反省しているなら、出来ますよね?」そう言われたときの、教諭の顔が私は今でもわすれられません。

話の内容は…

ほかの生徒が同じことをしない様にという名目で、クラス内で問題として大きく取り上げ、私は自分の書いた反省文をクラスの全員の前で読み上げるというものでした。

 

「自分が悪い」「仕方の無いこと、責められて当たり前だ」と、自分に言い聞かせましたが、クラス生徒全員を前にして声は震え、手の震えは強くなり、息が苦しくて逃げてしまいたい気持ちでいっぱいでした。

 

その夜、私は一睡もできず、ひと晩中泣きながら嘔吐を繰り返し、脱水状態になり、翌日学校を休みました。

 

それから私は、人前で話すことが極端に怖くなり、そしてミスは許されない完璧でなければならないという考えが頭から離れなくりました。